ヘアカラーリスト大島佑介は、TWIGGY.に入社してから「生活のすべてが勉強になる」と学んだと言います。美容室を営む家で育った大島ですが、TWIGGY.に入ってから驚いたことに、「みんな感性で話すこと」「旅行の話が仕事につながっていること」があったと話します。手技の練習だけではなく、生き方や出会いがヘアカラーリストとしての自分自身を養うのにいかに重要か——。ある染色人との出会いを通じて「ステージが変わった」という大島の“染色人生”をご紹介します。

奄美大島にある染色人の工房を尋ねた大島が、実際に見て聞いて感じたこと、そしてヘアカラーへの可能性について、二回に渡りお届けします。

染色人・金井志人さんとの縁がもたらした衝撃

奄美大島で受け継がれる「泥染め」。世界でも奄美大島だけでおこなわれるという天然の染色方法は、世界三代織物「大島紬」を支える伝統技法としても有名です。そんな染めの技術を受け継ぎ、アパレルブランドなど国内外とのコラボレーションで、伝統と現代を見事に融合させている染色人がいます。「金井工芸」の金井志人(ゆきひと)さんです。

奄美大島の染色人・金井志人さんのインスタグラム投稿から、髪を泥染めしている様子

大島が金井さんを知ったのは、何気なく見ていたインスタグラムで金井さんの投稿を見つけたのが最初だったそう。

「髪が、泥でグレイッシュな髪色に染まっている...!」

金井さんが、自身の髪を泥染めしていたのです。大島にとってこの投稿は、かなりの衝撃で目を奪われたと言います。

「そのときはどんな原理か、全く想像もつかなかった。こんなプリミティブな方法でヘアカラーができたらすごい、と」

金井志人さんのインスタグラム投稿から。美しいグレイに染まっている髪

ヘアカラーリストという専門職の中で、自身の役割をどのように広げていけるのか。漠然とした課題意識が立ち込めていた大島の心の中に、「染色人」というワードは、もやを晴らすような光を放っていたようです。自身を“染色人”と捉えることで視野の広がりを感じたと言います。

「『カラーリスト=染色する人』と言えば当たり前のことに聞こえると思うのですが、この投稿が僕にとって新たな気づきを与えてくれました。ウールなど動物性のテキスタイルを染めていることを思えば、人の髪を染めるヘアカラーも同じだとつながっていった。これからは、デザイン自体に満足するだけではなく、その背景やサイドストーリーに重きが置かれる時代。そんな想いもあり、こうした伝統的な染色手法に強く惹かれました」

その後、サロンのお客さまのご紹介で開催したPOPUPイベント(TIMBER CREW PRODUCTS)で、偶然目を惹かれた作品が金井さんのものであったり、松浦のお客さまとの会話の中で「金井工芸に行ってきた」という話が出てきたり…。そんなご縁がどんどんとつながっていき「これは行くしかない!」と、お客さまの紹介のもと、金井工芸さんを訪ねることに決めたのです。

泥染め文化が息づく島、奄美へ

「奄美大島を訪ねたのは2021年11月頃。朝から海に入れるほどの暖かさで、かなり快適な場所でした。工房に到着するとその歴史ある佇まい、カッコ良さ、そして立ちこめる独特な酸の匂いにも衝撃を受けました。このツンとした酸の匂いも、だんだんと心地よく感じてくるのです」

大島は毛束を持参し「泥染め」の工程を教えてもらいます。工程は大きく2つ。まずは「テーチ木染め」という作業からスタートします。奄美大島原産の車輪梅(奄美ではテーチ木と呼ばれる)の木の枝を煮込んで、抽出した酸性の染料に生地を漬け込みます。

工房にドンと鎮座する大釜に入れられた約600キロのチップ状の車輪梅。グラグラと2日間かけ煮出した汁を3〜5日寝かせた後、ようやく泥染めの染料に

「染めの作業は、天然の素材をつかって化学反応させること。酸性にアルカリ性を混ぜて中和させると最も色が付着しやすい状態になるため、車輪梅に含まれるタンニン酸を利用し液体を酸性に、その後石灰をつかってアルカリ媒染していきます。そして最後に泥染めをすることで、泥に含まれる鉄分と車輪梅のタンニン酸が化合し、黒へと変化していくのです」

実際に工程を見ながらその原理を理解していくと、それまで自然・ナチュラルと化学・ケミカルということを分けて考えていたという大島の意識にも変化が生まれたと言います。

「そこには酸性とアルカリ性が存在していて、phのバランスで成り立っていたのです。知れば知るほど、『自然は化学だ』と分かりました。そうしていくうちに、『髪も動物の毛なのだ』と理解することができたのです」

「テーチ木染め」の後は、工房のそばの泥田に移動し、にじみ出る地層の鉄分をつかって「泥媒染」をおこないます。ここには、約150万年前の古い地層が水に溶け出しているため、他にはない黒が生み出されるのだそう。生地を漬け込み、全体に馴染むように何度も染めていきます。

奄美大島の伝統工芸品「大島紬」は、泥染めの工程を何十回も繰り返していきます(薄い茶色で30回ほど、濃い茶色で60回ほど)。そうして出来上がる深い黒を「濡れ烏色」と呼ぶそう

ここで泥染めの逸話(諸説あり)を一つ。薩摩藩統治時代、島民に出された紬着用禁止令による貢物から逃れるために紬を田んぼの中に隠し、後日取り出してみたところ、綺麗な黒に染まっていたという偶然から泥染めは始まったそう。そんな“偶然の産物”とも言える泥染めですが、実際に見る工程は、とてつもない手間と時間がかかる染色方法なのです。

そして、大島が泥染めの工程を見ていく中で最も衝撃的だったこと。それは全てが島内でサーキュレーションされていることでした。

「染めにつかう車輪梅は、防風林として必要な存在。それを無闇に切るのではなく、間伐材を使用します。染料に煮出した木は乾燥させて、次煮るための薪に。薪が灰になったら奄美伝統のお菓子『あく巻き』につかうのです。最後はあくとしてつかうから、全てつかいきれるという...。それを見た瞬間、カラーリストとして人の髪で泥染めを実現させたいという想いが一層強くなりました」

旅先にしかない色を求めて

「泥染め」に欠かせない車輪梅は、高温多湿な奄美に多く自生している植物。そして昔は、石灰の代わりに浜に落ちているサンゴの死骸をつかっていたそうです。したがって「大島紬」の色は、奄美にあるものだけで生まれた“島の色”。

「奄美にしか存在しない“島の色”があるように、ここにしか存在し得ない“島の音”があります。旅と音楽が好きな僕は、気になる音があるとついつい録音をします。音楽のフィールドレコーディングは、音を『録りに行く』こと。泥染めは天然染色なので、絵具を買って色を作るのではなく、山に入って材料となる草木を採取する。つまり色を『採りに行く』感覚。特に染色は自然や文化との接点が多い分野なので、旅をするときには『自然』と『伝統技術』はいつも気になります」

見たことのない手法で美しく染まる髪。その衝撃をたどっていった奄美大島の旅で、思考も感性もときほぐされて、新たな刺激を得られた様子の大島。つづく後編では、「泥染め」をヘアカラーとして活用するという、現在進行形の大島の研究の模様をお伝えします。

Traveler

大島佑介(Yusuke Oshima)

1985年生まれ。「TWIGGY. salon」のヘアカラーリスト。2007年からカラーリストとしてTWIGGY.に参加し、独自のカラーデザインを表現。ヘナや草木染めの知識も豊富で、自然由来のカラー剤とブリーチを組み合わせたヘアカラーを得意としている。プライベートではDJとしても活動。イベントやアパレルショップなどでミュージックプレイリストの作成をしている。

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