一つひとつのヘアデザインには、カルチャーとともに紡がれた物語が隠されています。時代背景・アート・映画・音楽・ファッション…とさまざまなカルチャーの中で、髪型は“なにかを表現する”手段のひとつであり続けたからです。TWIGGY.のオーナーである松浦美穂のクリエイションの裏にはどんなカルチャーの世界が広がっているのか、紐解いてみました。

Miho Matsuura hair design × 60’s

木村カエラさんのスパイキーヘア

Miho Matsuura 「カエラさんと相談しながらつくったスパイキーなショートカットです。楽曲のビジュアルのテーマは赤と青であり、AIさんの青に対してカエラさんのヘアは相反する赤で表現するという出発点がありました。カエラさんから伺ったのは“自分と違うものに反対するのではなく、融合していくときにこそリスペクトが生まれる” “ただしリスペクトに至るためには、互いにピュアな自分で対峙するという一種の闘いもある”という想い。そこにはパンクの精神がありました。ならばセックス・ピストルズのジョン・ライドンのような赤いスパイキーヘアがぴったりだと思い、このヘアデザインのインスピレーションになっています。私のデザインはいつもインスピレーションからはじまります。今回も赤髪と聞いて映画「フィフス・エレメント」に登場したスーパーモデル、ミラ・ジョヴォヴィッチの赤いボブヘアや「ラン・ローラ・ラン」のフランカ・ポテンテの赤い髪をなびかせて走る姿が連想されたり…多くの発想が湧いた中から、今の気持ちに寄り添うスタイルを決めました」

60’sカルチャーのポジティブな反骨精神

1960年代を舞台にしたイギリス映画「さらば青春の光」。(1979)
【上】「The Rolling Stones」の50年を振り返る写真集。(2014)  【下】大回顧展を記念して出版された「DAVID BOWIE IS」。(2013)

Miho Matsuura 「私がよく言う“60年代っぽさ”とは50年代後半から70年代までの流れのことです。50年代後半のロッカーズ、60年代のモッズ...その2つの派閥が登場する映画「さらば青春の光」は有名ですね。そして、この映画は70年代に上映されました。登場する若者たちは、階級性が根強い社会に対してNO!と声にせず、当時の“文化”にのせて、ファッションや音楽、ダンスパフォーマンスで意思表示している映画。音楽にしても、この映画の冒頭からかかる「The Who」の「マイジェネレーション」をはじめとし、当時の憤りや焦燥感から未来への希望を感じさせてくれるのは、60年代のビートルズやローリング・ストーンズ。そして70年代のセックス・ピストルズやデヴィッド・ボウイがいて…ビートルズは“ロック=労働者階級の低俗的な音楽”という常識をくつがえしたし、さらには“音楽”を通して“反戦”の意思表示をした。デヴィッド・ボウイは“性別の垣根を超えて美しくあること”を体現した。アーティストが階級性やジェンダーなど凝り固まった価値観を一新し、ポジティブな“反骨精神”で世の中を変えた。これは今現在にも通用する姿勢だと思っています」

60’sファッションと女性デザイナー

【上】スウィンギング・ロンドンを代表するブランド、BIBAの歴史を 豊富な図版で収録した「The Biba Experience」(2004)  【下】2022年に東京で開催されたマリー・クワント展の公式図録。(2022)

Miho Matsuura 「当時は戦争などの影響もあり、なんとなく暗いムードの流れが世界中にあったころ。とくにイギリスは根強い階級制の影響もあって社会問題が絶えない中、それに追従するのではなく先駆者として暗いムードを一新させたひとりの女性がいた。アートの感覚・ファッション・インテリア・コスメなどのビジネスの成功や、まだパリのデザインに押されていたい時代にロンドンへと流れを変えた人物…それがMARY QUANTでした。ミニスカートやホットパンツ、ロングブーツだったり、安価なジャージ素材や新素材を使用して、世界を驚かせたり…。ヘアスタイリストのヴィダル・サスーンやモデルのツィギーとともに「スウィンギング・ロンドン」というストリートカルチャーを巻き起こした。まさに現在に通じるストリートファッションの先駆者です。BIBAはアールデコ・プリントやフレア調のグラマラスなファッション。1920年代を彷彿とさせるオートクチュール的な要素もあるブランドとともに、この時代の“性”の壁も超えていくムーブメントをつくっていった。男性が50年代のショートヘアやリーゼントヘアから前髪(バング)が重めのマッシュルームヘアになったり、ロングヘアだったりと連なって変化が起き、一見男女の見分けがつかないジェンダーを超えた時代のスタートとなっていきました」

【上】TWIGGYの生誕60周年を記念して発刊された写真集。(2006) 【下】60’sのデザイナー、 Rudi Gernreichの作品を、そのミューズであったモデルの/Peggy Moffittがまとめた作品集。「The Rudi Gernreich Book/Peggy Moffitt/William Claxton」 。(1991)

時代を越えて観る60’sのパンクマインド

(上)Levi’sとのコラボでつくられたVivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)のワイヤー入りスカート。松浦私物。(1980年代)

Miho Matsuura 「個人的には、1910-20年代のダダイズムやシュルレアリスムのアヴァンギャルドのパンクにも似た精神があったからこそ“60’sカルチャー”が生まれたと思いますし、その50年代~70年代のムーブメントは、のちの80年代のパンクカルチャーにもリンクすると感じます。あらゆる既成概念を破壊したと言われるのがダダイズム。破壊による無秩序な世界観からあえて、新たな表現を生み出したシュルレアリスム。それこそがポジティブなパンク精神と言える考え方であり、それ以降のカルチャーに受け継がれていきます。“60’sカルチャー”はもちろんのこと、80年代には​​マルコム・マクラーレンとともに、ヴィヴィアン・ウエストウッドの登場が印象的でしたね。「これ、着るの!?」と思わず言ってしまうような服は実用的ではなくとも既存の考え方に捉われないデザイン。まさにパンクなマインドで、若者からミュージシャンまで絶大な支持を得たわけです。カルチャーは点と点で起こっているように見えて、じつは線でつながっている。だから私にとって、“60’sカルチャー”は、字面通りの“60-69年”ではないんです」

「NOではなく、YESを表現する」60’sカルチャーとの共鳴

Miho Matsuura 「ちなみにサロンの名前である“TWIGGY.”は訳すと、小枝のようなという意味です。あんなにも細い小枝が逆風にも屈せずになびき続ける。“緑”、“フィールド”を感じると同時に、地上の小さな破壊と再生の役割を感じました。挑戦の苦しさと生み出すことのよろこびはつながっていて…すべてが循環し合っていく感じです。60年代のポジティブな反骨精神と、現代の環境問題が私の中である一種の“重なり”を感じました。環境破壊に対して単に“NO”というのではなく、もっと夢のある美しさやよろこび、楽しさを感じる“YES”を表現していきながら…自分自身が信じるもの・こと・人を“つなぐ人”でありたい」

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