TWIGGY. 徒然日記 vol.1
カットはもちろん、プロダクトやスパにカフェ、そして自然電力の勉強会にポップアップなど、TWIGGY.を全方位的にリアルで体験する日々をエッセイでお届け。読めばサロンのさまざまな“引き出し”を疑似体験できるかも? 初回は松浦美穂のヘアカットについて。
「居合とスパイス、
唯一無二のカットを生む」
映画「ローマの休日」のアン王女に象徴されるように、髪型を変えるというのは、今までと違う自分になれる最も身近な手段のひとつではないだろうか。映画のようなドラマチックな展開とは言わないまでも、誰でも新しい風は取り入れたくなるもの。そのきっかけとなるヘアカットの効用を、人はだれでも知っている。だからこそ、それを委ねる人物は大切にしたいと思うのだ。
TWIGGY.の松浦美穂さんのカットは、ものすごく早い。こうと決めたら、ハサミを握る手はよどみなく、流れるように動き、床にはどんどんと過去をともに生きた髪の毛が落ちていく。昨年、サロンをオープンさせて30年周年。ロンドン移住時代やその前の六本木美容室時代を合わせると、約40年。プロとして国籍や年齢を超えた幾多の人たちにヘアスタイルという変化の種を撒いてきた彼女の経験が、その迷いや無駄のない動きの礎であるのは間違いないことだろう。しかし個人的には、松浦美穂さんのカットの最大の特徴は、はじまりと終わりに集約されると思ってる。私はそれを“居合”時間と“スパイス”時間と名づけている。
シャンプー後、ガウンをかけてもらって椅子に座り待っていると、まず美穂さんのワゴンをスタッフがゴロゴロと移動させてくる。これが“そろそろですよ”の合図である。そうすると美穂さんがやって来る。鏡越しに目を合わせ、「こんにちは!」と笑顔で挨拶をする。約20年、ずっと変わらないやりとりである。そして“居合”の時間がはじまるのである。
居合というのは、剣術においてすぐさまに刀を抜くさまのこと。これはあくまでも喩えである。美穂さんがやってくると、まず(鏡越しに)目をきちんと合わせ、今日はどんなスタイルで行こうか意思の疎通を図る時間があるのだが、それを私は居合と呼んでいるのだ。
なぜ居合なのか。その時の美穂さんは、リラックスしていながらも「この人は今、どんな気分でどんなカタチを求めているのだろうか」という相手への思案と「今のこの人の髪の状態はこうだから、このあたりを変えるとよいかも知れない、こういう選択肢もあるのではないだろうか」などというヘアスタイルの見極めを、瞬時にそして真剣に行っている。それがズシッと伝わってくるのである。そこに「後ろが重いのをスッキリさせたい」とか「アシンメトリーもよいかと思っている」などと私が話す要望をインプットし、「ではフロントの長さはあまり変えずに後ろをスッキリ」とか「ショート気味にしてみましょうか」とか「内側を少し切って分け目次第で変化してみえるようにしましょう」といった全体図に変換するのである。変換が完了すると、彼女はハサミを握る。そして淀みないヘアカットとなるのである。図ったら30秒あるだろうか……。ほんのわずかだけれど大変集中した、大変濃厚な時が流れるから居合なのだ。あとは大船に乗ったつもりでいればあっという間にカットは終わり、彼女は風のように去り、次のクライアントの待つシートへとむかう。
スタッフによるセットが終わると、また美穂さんのワゴンが先にやってきて、続いて彼女が現れる。このあと“スパイス”と呼んでいる仕上げの時間となる。数秒無言で鏡の中、お互いが目を合わせていると、美穂さんはやおら髪をつまみ、パシッとハサミを入れる、ことが多い。あるときは頭頂部、あるろきは右脇またある時は左脇といった具合だ。この慎重さと決断力が絶妙な塩梅でミックスされたひと裁ちで、びっくりするぐらい印象が変わる。まるで料理の仕上げにさっと振るスパイスが、味をドラマチックに変えるように。
これがスパイスである。その行為は感覚的なもので、理詰めではないように思う。きっとそのときに入れるハサミは、同じボブでもショートでも、人によってまったく違うような気がするし、同じ人であっても季節やファッションの傾向が変われば同じにはならないだろう。まさに一期一会の行為なのだ。そしてこの“居合”と“スパイス”こそ、美容師・松浦美穂のお家芸で名人芸だと個人的に思っている。
- writer
-
田中敏惠(Toshie Tanaka)
ジャーナリストの経験を活かし、エディトリアルディレクションやプロデュースを請け負う株式会社キミテラスを立ち上げる。TWIGGY.には西麻布のサロンから通い始め20年近くとなる。ライフワークでもあるブータン王国との架け橋の一環として、本年よりClean Bhutanの日本エージェントに。
kkimiterasu.net
PICK UP
-
-
Pick up
-