2020年に30周年をむかえたTWIGGY.。オープン当初から止まることなく歩み続けてきたTWIGGY.の変わらない哲学とは?これまでの道のりと、これからの未来―人間だけでなく地球にとっても心地よい、本質的な美しさを表現するヘアサロン―を、オーナーの松浦美穂が語ります。

30周年はゴールでなく
リスタート

30年間ずっとサロンにいるのは私だけで、スタッフはどんどん変わっていく。でも、30周年を迎えた段階でここにいてくれているスタッフたちに、私はご縁を感じています。30年はゴールではなくリスタート。そう思えるのは、今いるスタッフと一緒だからですね。

サロンをはじめる前の1988年、28歳の私はスウィンギングロンドンのカルチャーに憧れて渡英しました。そこで実感したのは“自分自身で考えれば、仕事はどこまでもおもしろくなるし個性につながる”ということ。30年変わらず私の根底にあるこのスピリットを、今のスタッフもちゃんと受け継いでくれている。また、TWIGGY.がスタートして10年ほどたつと、今度は新たな夢が芽生えました。それは、さまざまな個性を表現するスタッフがいて、お客様がそのときの気持ちやライフスタイルに合わせてスタッフを選べるサロンであること。おそらく、その夢も今、実現できている。

私、“夢中”という言葉が好きなんです。夢の中って書くでしょう? 熱意と愛に満ちた夢の中で仕事をしている感覚を大事にしたい。 「仕事とはもっと現実的なものだ」と言われても、「いいえ、私は夢の中に居続けたい」と胸を張って言える。20代の頃と変わらないな、パンクだなって自分でも思うけれど、ずっと“夢中”だからこそ、戸惑うことなく今がリスタートだと思えるんですね。

ロンドンで出会った
“美しさの本質”

1980年代のロンドンストリート

―夢を見続け、さまざまなことに挑戦し続けてきた中で、転機となったことはありますか?

ひとつは、ロンドンのストリートから生まれるヘアカットのカッコよさに衝撃を受けたことですね。当時の日本ではどのサロンに行っても流行りのカット一辺倒。でもロンドンでは、ミュージシャン同士が互いの髪を切り合ったりして、とても自由だったんです。私はそれを見て思いました。「日本人の直毛をカットだけでロンドンっ子のくせっ毛みたいにできたら、どんなにカッコいいだろう。そのためには、誰かがつくった方法をなぞるのではなく、今までにない切り方を考えなくちゃ!」。実はこのときに研究して自分なりに辿り着いたオリジナルの切り方が、今の私のスタイルにもつながっているんです。

―それが、先ほどの“自分自身で考えて工夫すれば、カットはどこまでも面白くなる”ということなんですね。

オーガニックや東洋医学と出会ったことも大きかったと思います。ロンドンでは当時から、オーガニックという言葉が“生きる姿勢や考え方”を表すものとして、当たり前に使われていたんです。息子を出産したのもロンドンですが、そのときに東洋医学を学んでいた友人が教えてくれたのが、ホメオパシーやフラワーレメディを取り入れた植物療法と漢方、食べ物の“陰と陽”。日々の暮らしの中で、本質的な美しさを見つめ直すときに本当に助けられたし、その効果を日本に伝えたいとも思いました。80年代の日本の美容業界はケミカル全盛で、私もその渦中にいましたが、心のどこかでは“美しさの本質は健康”と感じていたのでしょうね。かすかな、でも確かな想いを後押ししてもらえた気がして、“美しさを根本から考え、伝えられるサロンをつくれたらよいな”という想いとともに帰国しました。

そして1990年、東京三田のマンションの一室で始めたのがTWIGGY.です。日本はカリスマ美容師ブームの真っただ中でしたが、私が目指したのはライフスタイルを意識したヘアスタイルづくり。ブームに乗りたいとはまったく思わず、その後も麻布十番、西麻布と移転して現在の神宮前に至るまで、一店舗主義を貫いています。

西麻布店舗のTWIGGY.

お客さまの “今の気持ち”を
表現するために

―ロンドンで思い描いた“美の本質を伝えるサロン”というイメージが
カタチに
なったのはいつごろでしたか?

それが、独立してもなかなか満足のいくカタチにはならなくて。変わったきっかけは2003年、日本初上陸したオーガニックヘアケアブランド「AVEDA」のディレクターに就いたことでした。創業者のホースト・レッケルバッカーは、人間にも地球環境にも愛を持ち、自分も他人も大切にするヒッピーのような精神をもつ人で、世界中を旅した経験をもとにこのブランドをつくったんです。

NYやロンドンの「AVEDA」には世界中のいろんな国の人がいたけれど、ホースト・レッケルバッカーの意思を受け継いだアーティスティックディレクターは、誰もが自分の個性を大切にしながら人の役に立つことを一生懸命考えていました。彼らと過ごして、私がTWIGGY.のスタッフやお客さまに求めていたのはこういう“人たち”なんだと気づいたんです。

AVEDAのショーバックステージ

当時TWIGGY.にいたスタッフは20人近く。全員を個々に指導するには数が多すぎるし、かといって、カット技術をシステム化して“みんな私のやり方と同じように切って”というのも違う……そう悩んでいた時に、「AVEDA」のアーティスティックディレクターに就任し、世界中のアーティスティックディレクターたちと出会い話したことで、何かがストンと降りてきたんです。“スタッフ一人ひとりに違う個性があり、そのことが魅力になるサロンをつくりたい”と。

そうすればお客さまがスタッフを選べるし、お店に来るたびワクワクする。“来月は違うスタッフに切ってもらおうかな”という選択だってできるわけです。もちろん”技術(テクニック)”は一番大切なことですが、TWIGGY.のお客さまはそれ以上の“感性(センス)”を求めていて、“私の気持ちに合うスタイルにしてほしい”と思って来てくださるんです。だからスタッフに必要なのは、お客様の言葉の奥にある本当の気持ちまで理解できる器量と、サロンに来る喜びやワクワクを少しでも多く味わってもらおうとするホスピタリティ。そういうことを大切にできるスタッフを育てよう…ひとつの目標が定まりました。

―具体的にはどんな“育て方”をしたのでしょう? 

まず信じること。私、人を信じたいんですよ。「あなたを信頼してる」って言葉で伝えると重いじゃないですか。だから口には出さず、ただ信じる。あえて言うとしたら、いい加減でいなさい、と(笑)。私、器が広い人って、どこかいい加減な人だと思うんです。TWIGGY.も、ルールや決まりをつくらず”良い加減”の店にしておきたい。ただし、ルールの代わりに必要なものもある。それは熱意です。熱意は愛。仕事をシェアし、夢や理想を共有していくためには、スタッフと私が同じ熱量の愛を持っていないとダメですね。

スタッフの熱意とは、「私は今、何をやるべき?」「TWIGGY.にとって私はどんな存在意義があるの?」ということを、おのおのの持ち場でプロフェッショナルに考え続けるちからです。熱意の足りなさは必ずカタチに出ます。「あ、忘れてた」「あ、見逃してた」ってね。そうではなく、自分の仕事には“これは私じゃないとできない!”というくらいの強い愛をもって取り組んでほしい。そうすれば私も、“じゃあ、あなたに任せたい!”って心から思えるから。

美容師であり
表現者でありたい

―今のTWIGGY.を形づくっているのは“人”なんですね。
では松浦さん自身が目指すところについても教えてください。

私は子どものころから、目に見えないちからを信じるところがあって。それをどう表現すればいいんだろうってずっと思い続けてきました。私のここ(自分の胸をさして)にしか存在しないものなのに、なにか名前をつけて言葉にしなければいけないことや、言葉にしたとたん嘘になってしまうことに、ずっともやもやしていたんです。

そんな私にひとつの道標ができたのが、20代の頃。ヘアメイクを担当していたミュージシャンや、ロンドンで出会ったダンサーが、言葉にならない想いや目には見えない魂のちからを、歌や踊りでちゃんと表現しているのを目の当たりにして、“うらやましいな。この人は表現者なんだ”と思ったんです。そしてハッとしました。私も表現したい、美容師だって表現者になれる。たとえ1cm切るだけであっても、まっすぐに切るのか斜めにするのか後ろ下がりにするのか……その1cmをどうするかが私の表現なんだ、そう気づいたんです。

表現者でありたいという想いを持ってからTWIGGY.を出せてよかった。持たないまま独立していたら、30年もこの仕事を続けてはいなかったかもしれませんね。

次回は、30周年のビジュアルにかけた想いと、これからも続くTWIGGY.の表現について語ります。

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